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ロタ島に行ってきました 島内ドライブ 2
こんにちはTiareです
今日も雨。台風の影響による被害が今後も心配です。
竜巻もとても怖いですね。どうぞお気を付けください。
さぁ、さぁ、ロタ島に行ったのももう3週間前。
楽しかった時間は今の頑張りにつながります
ロタ島でのドライブは地図を頼りに、でも右往左往 笑
分かりやすいはずが、なかなか掴めない。
そんな中、日本軍にまつわる場所にも行ってきました。
ロタ島は一時1000人ほどの日本人が在住し砂糖工場もありました。
地上戦は行われずにいたので今も昔のままの自然が残っているようです。
さらに詳しくはこちら→ロタ島の歴史
ロタ島の地図
道路は薄い黄色の実線のみ。
島の周りとわずかに中心部。

砂糖工場の跡や使用していた汽車もまだありましたよ
島の左下部分の細長いあたり。
ここはテテトビーチから車でそんなにかからないです。
ソンソン村の中をちらっと通ってすぐでした。

さぁドライブ。
まずは島の中央にあるラッテストーン石切り場跡へ
はい、笑うの禁止。

ラッテストーン 別名 タガストーン遺跡
ここは古代チャモロ族の遺跡。古代チャモロ王朝時代に使われたラッテ・ストーンの石切り場であり、ここで切り出した石をサイパンやテニアン、グアムまでカヌーで運んだとされる。(ウキペディアより)

作業の途中の形のまま遺跡になっていて
最初はえ??これだけ??と笑ってしまいましたが
よ~く考えてみれば、機械も何もない時代に石を切り出し移動ではどう運んだのか。。。
やっぱりすごいなぁ

看板は新しく直した後らしく島内全部きれいでした。
ここでは近くに何かの作業場があるのかな?
車が良く通り、そのたびにハイ!と手を挙げてきます。
ロタでは車に乗っているときも、歩いている時もすれ違えば必ずハイ!と。
なんだか楽しかったな。
そして島の中央あたりにある旧日本軍の大砲
地図上では割と近いですが
途中道が合っているのか不安になりつつも到着。
これまたきちんと手入れされてペンキも塗ったばかりかな?
でもここは蚊がたくさんいました。

こんな場所で若い兵士たちが虫よけスプレーもなく
どうやっていたんだろう。。
食事はどうしていたんだろう。。
こんな山の中までどうやってこの大砲を運んだんだろう。。
様々な想いがよぎります。
百聞は一見にしかず。
お国のために、と任務遂行をしていた見知らぬ若いご先祖さまにも感謝。
今の時代では考えられないです。

そして道をぐるっと周り、
次は第二次世界大戦日本人の墓。
ここまでの道は舗装されていて割とすんなり着けたかな。
ここも本当にきれいに手入れがしてあります。
とても見晴しの良い場所。


紙パックのお酒がお供えされていましたので
近くに落ちていたきれいなハイビスカスも一緒にお供えしました。

この道は海に面していて気持ちの良い場所でした。

目の前には牛が放牧されていました。

この地で眠るご先祖さまへ挨拶をして次に移動します。
そしてここから島の右下~下の部分へ移動します。
始めは途中の展望台を目指したつもりでしたが、気が付いた時には
そこを通り過ぎ、すっかりジャングル道ゾーンへ突入していました 笑
地図的には合っていると思われるものの
気持ちの整理もないまま鬱蒼とした森の中の道へ。
不安すぎて笑えない 笑

こう写真でみると大丈夫な道に見えますが
不安ど真ん中のところはとても写真どころではないです。
でも結果的にはただのガタガタ道で、森の中で迷った気分になりますが、
安心してください!道、つながってましたから!! 笑
そんな気持ちの中 ひょっこりと現れるのが
地図の右下にある
日本人のお墓(石碑?)

ここもきれいに手入れされています。

どこに行ってもゴミが散乱していることもなくキレイ。
観光地ならではの仕事かもしれませんが感動します。
ロタ島の人は意外とまじめ?なのかも。。
南の島ならではの時間や物事のルーズさは今回はあまり感じませんでした。
さぁこのお墓を通たあとはあと一息で地図の下左側にあるソンソン村を目指します。
結果的にはそんなに時間はかかりません。
ただし、どの道も初めてだと不安すぎるくらいのガタガタ道。
もしスコールなんか来てしまったら恐怖です。
予想外の夕方にこの道を通り抜けることになってしまったので
夕食に予約していたレストランでサンセットバーベキューに間に合うのか、
ただでさえ、宿泊者は他にいないし、さらにお客様いなくてもきちんと営業しているレストランスタッフに大遅刻も嫌だし。。
そんなこんなでドキドキでした 笑
さぁ間に合うことはできたのか??
続く~ 笑


今日も雨。台風の影響による被害が今後も心配です。
竜巻もとても怖いですね。どうぞお気を付けください。
さぁ、さぁ、ロタ島に行ったのももう3週間前。
楽しかった時間は今の頑張りにつながります

ロタ島でのドライブは地図を頼りに、でも右往左往 笑
分かりやすいはずが、なかなか掴めない。
そんな中、日本軍にまつわる場所にも行ってきました。
ロタ島は一時1000人ほどの日本人が在住し砂糖工場もありました。
地上戦は行われずにいたので今も昔のままの自然が残っているようです。
さらに詳しくはこちら→ロタ島の歴史
ロタ島の地図

道路は薄い黄色の実線のみ。
島の周りとわずかに中心部。

砂糖工場の跡や使用していた汽車もまだありましたよ
島の左下部分の細長いあたり。
ここはテテトビーチから車でそんなにかからないです。
ソンソン村の中をちらっと通ってすぐでした。

さぁドライブ。
まずは島の中央にあるラッテストーン石切り場跡へ
はい、笑うの禁止。

ラッテストーン 別名 タガストーン遺跡
ここは古代チャモロ族の遺跡。古代チャモロ王朝時代に使われたラッテ・ストーンの石切り場であり、ここで切り出した石をサイパンやテニアン、グアムまでカヌーで運んだとされる。(ウキペディアより)

作業の途中の形のまま遺跡になっていて
最初はえ??これだけ??と笑ってしまいましたが
よ~く考えてみれば、機械も何もない時代に石を切り出し移動ではどう運んだのか。。。
やっぱりすごいなぁ

看板は新しく直した後らしく島内全部きれいでした。
ここでは近くに何かの作業場があるのかな?
車が良く通り、そのたびにハイ!と手を挙げてきます。
ロタでは車に乗っているときも、歩いている時もすれ違えば必ずハイ!と。
なんだか楽しかったな。
そして島の中央あたりにある旧日本軍の大砲
地図上では割と近いですが
途中道が合っているのか不安になりつつも到着。
これまたきちんと手入れされてペンキも塗ったばかりかな?
でもここは蚊がたくさんいました。

こんな場所で若い兵士たちが虫よけスプレーもなく
どうやっていたんだろう。。
食事はどうしていたんだろう。。
こんな山の中までどうやってこの大砲を運んだんだろう。。
様々な想いがよぎります。
百聞は一見にしかず。
お国のために、と任務遂行をしていた見知らぬ若いご先祖さまにも感謝。
今の時代では考えられないです。

そして道をぐるっと周り、
次は第二次世界大戦日本人の墓。
ここまでの道は舗装されていて割とすんなり着けたかな。
ここも本当にきれいに手入れがしてあります。
とても見晴しの良い場所。


紙パックのお酒がお供えされていましたので
近くに落ちていたきれいなハイビスカスも一緒にお供えしました。

この道は海に面していて気持ちの良い場所でした。

目の前には牛が放牧されていました。

この地で眠るご先祖さまへ挨拶をして次に移動します。
そしてここから島の右下~下の部分へ移動します。
始めは途中の展望台を目指したつもりでしたが、気が付いた時には
そこを通り過ぎ、すっかりジャングル道ゾーンへ突入していました 笑
地図的には合っていると思われるものの
気持ちの整理もないまま鬱蒼とした森の中の道へ。
不安すぎて笑えない 笑

こう写真でみると大丈夫な道に見えますが
不安ど真ん中のところはとても写真どころではないです。
でも結果的にはただのガタガタ道で、森の中で迷った気分になりますが、
安心してください!道、つながってましたから!! 笑
そんな気持ちの中 ひょっこりと現れるのが
地図の右下にある
日本人のお墓(石碑?)

ここもきれいに手入れされています。

どこに行ってもゴミが散乱していることもなくキレイ。
観光地ならではの仕事かもしれませんが感動します。
ロタ島の人は意外とまじめ?なのかも。。
南の島ならではの時間や物事のルーズさは今回はあまり感じませんでした。
さぁこのお墓を通たあとはあと一息で地図の下左側にあるソンソン村を目指します。
結果的にはそんなに時間はかかりません。
ただし、どの道も初めてだと不安すぎるくらいのガタガタ道。
もしスコールなんか来てしまったら恐怖です。
予想外の夕方にこの道を通り抜けることになってしまったので
夕食に予約していたレストランでサンセットバーベキューに間に合うのか、
ただでさえ、宿泊者は他にいないし、さらにお客様いなくてもきちんと営業しているレストランスタッフに大遅刻も嫌だし。。
そんなこんなでドキドキでした 笑
さぁ間に合うことはできたのか??
続く~ 笑

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